納豆図鑑NATTO by KJ

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納豆には、ゾーンがある。

文・KJ(ケージェー)/KJ WORKS クリエイティブディレクター

天草納豆を全種類いただいて、一週間で食べきりました。翌週には、すぐにスーパーへ。ふだん並んでいる納豆を十種類ほど買い込み、食べ比べてみました。
ブランドの言葉をつくる以上、まずは市場を知らなければいけない。ネットで調べ、AIも使いますが、僕は必ず自分の足で売り場に立つことにしています。

大きなスーパーには、驚くほどたくさんの納豆が並んでいました。その多くが、発泡スチロールのパックやカップに入ったもの。眺めていて気づいたのは、小粒がとても多く、大粒や中粒は意外と少ないことでした。作りやすさや、コストの面もあるのだろうと思います。

そしてもうひとつ。子どもの頃から当たり前のようにタレをかけて食べてきた納豆を、今回はじめて、何もかけずに食べてみました。すると、豆の味の差がはっきりとわかったんです。僕が強く感じたのは、苦みでした。
もちろん天草納豆にも、発酵の過程で生まれる苦みはあります。ただそれは、噛んでいるうちにふっと感じる程度のほろ苦さで、むしろそれが美味しい。食べ比べたあとに天草納豆へ戻ると、「あ、これは違うな」と思いました。あくまで、僕個人の感想です。

だからといって、パックの納豆を否定するつもりはまったくありません。
調べてみると、いまの納豆づくりの土台には、大正時代の北海道帝国大学・半澤洵博士の研究がありました。納豆菌を純粋に培養し、清潔に、安定して作れる製法を確立したことで、納豆は誰もが手ごろに食べられるものになりました。物のない時代にも、日本の食卓と人々の健康を支えてきた大切な技術です。
面白いことに、半澤博士が稲わらに代わる清潔な容器としてすすめたのは「経木」でした。

安く、手軽に、いつでも食べられる。それ自体が、ものすごく価値のあることだと僕は思っています。
お金に余裕のある人ばかりではありません。学生さんも、いま夢を追いかけている人もいる。僕自身、若い頃はペヤング焼きそばに本当に助けられました。そこにパックの納豆をぶち込んで食べていたのは、いまでもありがたい思い出です。
ときどき、大手メーカーさんの商品を強い言葉で叩く発信を見かけますが、僕はそれは違うと思っています。

これは納豆に限った話ではありません。焼肉も、ラーメンも、イタリアンも、フレンチも、寿司も。食べものにはすべて、安くて手軽なものの良さと、手間と素材を尽くしたものの良さがあります。
大人になってから、ミシュランの星を持つお店や、予約の取れないお店、一人数万円のお店に伺う機会もいただきました。それでも僕は、いまも回転寿司に行きます。どちらが上という話ではなく、求められる場面が違うんです。

日々の食卓を、手ごろに、確かに支える納豆。
豆を選び、経木に包み、豆そのものを味わう納豆。
どちらが正しいかではなく、そもそも違うゾーンの食べものなのだと思います。

天草納豆は、後者です。僕はそういう考え方で、この高級納豆の販売をお手伝いしていきたいと思っています。

だから天草納豆は、まずは塩をひとつまみ。ひと粒ずつ、どうぞ。

PRKJは天草納豆のプロデュースをサポートしています。